
2016年03月04日
「雨水」末候「草木萠動」★そっか、そんな時期やから、花粉症が来たのか〜
何か、鼻がムズムズ。
は〜は〜は〜 はっくしょ〜い!ぶるぶるぶる。
そうそう、やって来ましたのこの季節。
冬から春を通して夏へと体が変化する中で、
避けては通れない切り替えポイント。
花粉症
ずるり。

暦の上では
二十四節季「雨水」の末候
七十二候「草木萠動」
日長が日に日に長くなり、草木が春を感じて萌え動き始める季節。
そりゃ空気に香りが立ちこめ始めますし
音の響きも冬のような鋭い音から、春の柔らかい音へと変化します。
そして一緒にやってくるのが
花粉症
ずるり。
でも、僕ほどの野菜ソムリエになりましたら、
自然の流れの中で食を選びながら生活してきていますので、
体が切り替わったら、症状もぱったり止まるんですけどね。
とりあえず、これから1週間が山場です。
ナバナや葉ゴボウをガンガン食べて、
体を切り替えて行かねばなりませんね。

(野菜は薬ではありません。効果には個人差があります)
は〜は〜は〜 はっくしょ〜い!ぶるぶるぶる。
そうそう、やって来ましたのこの季節。
冬から春を通して夏へと体が変化する中で、
避けては通れない切り替えポイント。
花粉症
ずるり。
暦の上では
二十四節季「雨水」の末候
七十二候「草木萠動」
日長が日に日に長くなり、草木が春を感じて萌え動き始める季節。
そりゃ空気に香りが立ちこめ始めますし
音の響きも冬のような鋭い音から、春の柔らかい音へと変化します。
そして一緒にやってくるのが
花粉症
ずるり。
でも、僕ほどの野菜ソムリエになりましたら、
自然の流れの中で食を選びながら生活してきていますので、
体が切り替わったら、症状もぱったり止まるんですけどね。
とりあえず、これから1週間が山場です。
ナバナや葉ゴボウをガンガン食べて、
体を切り替えて行かねばなりませんね。

(野菜は薬ではありません。効果には個人差があります)
2016年03月04日
『讃岐の食文化は日本一』と豪語する理由~その3 ★広域にわたり定着する多様な食材
第7章★結局。。。
で、結局
その3★広域にわたり定着する多様な食材
では、
と、讃岐の食を構成する食材を紹介してきましたが、
これら食材は、別に県内では特殊なものではなく、
香川県全域に渡り流通し、普通に購入でき、食される、
県内ではごくごく一般的な食材なのです。

このような多様な食材群が、何食わぬ顔で普通に存在する。
それが「広域にわたり定着する多様な食材」で申し上げたかったことなのです。
こんな地域はそうそうありませんよ。
ほんま。
で、結局
その3★広域にわたり定着する多様な食材
では、
と、讃岐の食を構成する食材を紹介してきましたが、
これら食材は、別に県内では特殊なものではなく、
香川県全域に渡り流通し、普通に購入でき、食される、
県内ではごくごく一般的な食材なのです。

このような多様な食材群が、何食わぬ顔で普通に存在する。
それが「広域にわたり定着する多様な食材」で申し上げたかったことなのです。
こんな地域はそうそうありませんよ。
ほんま。
2016年03月04日
『讃岐の食文化は日本一』と豪語する理由~その3 第6章★そして、忘れてはならない『調味料』の存在。
第6章★調味料
香川県で生活をすると生鮮食料品の種類の多さを実感しますが、実は調味料もそれに匹敵するバリエーションがあります。
「味噌を買う家は財が残らない」ということわざが高松市香川町に残ります。
調味料も自県で、そして自家でまかなうというのが讃岐の食の極み。
香川県で生活するうえで、自県の調味料のみで生活することも不可能ではありません。
ちょっと、讃岐の調味料を見て参りましょう。

讃岐を代表する調味料として、まず砂糖が挙げられます。
江戸時代から続く讃岐の伝統的な産業の一つで、現在でも讃岐の土産品として和三盆を選ばれる方も少なくありません。
讃岐の砂糖産業の夜明けは18世紀後半、高松藩五代藩主松平頼恭公の時代。
藩財政の建て直しに砂糖産業を奨励し、医師向山周慶が製糖技術を確立し、1790年に初めて砂糖の製造に成功したと記録に残ります。
サトウキビの栽培にも適した気候風土と、製糖技術の確立により、讃岐は「南海の宝庫」と呼ばれるほどの一大産地になりました。
その後、明治時代になり、外国産の安価な砂糖が大量輸入されるまで、讃岐の砂糖は日本のトップランナーを走り続けました。
(ここまでが一般的に知られている情報)
では、江戸時代にはどれくらいの砂糖が香川県で生産されていたのでしょう。江戸時代末期、国内に流通していた砂糖については約3割が讃岐藩で作られていました。
特に白砂糖についてはほぼ讃岐藩の独占状態(7割)であったことが資料として残っています。
讃岐の農地の1割がサトウキビだったとの記述もあります。
また、「讃岐国産は雪白のごとく、舶来品にいささか劣らず」という記述も残り、「讃岐三盆糖」として、讃岐の砂糖は質・量ともに日本を席巻していたということがうかがえます。
次に、調味料の旬について触れてみます。
生鮮食料品に旬があるように調味料にも旬があります。
「砂糖」は、晩秋に収穫したサトウキビから絞り出した砂糖液を煮詰めて研ぎだしますので冬が旬といえます。
全ての調味料において、製造のための原材料や、製造を始められる気象条件がそろう季節が存在し、いわゆる「新物」が出廻り始める時期がありました。
砂糖はどちらかというと出荷品目にあたるので、一般生活にはなじみの無い物でしょう。
調味料の中でも、讃岐の食文化を代表する調味料は、秋に収穫された新米と大豆で醸す白味噌でしょう。
一部ではセチ味噌とも呼ばれ、貴重な新米を惜しげなく使い、塩分濃度を低くすることで甘みが引き立つように作られていました。
特に、冷蔵庫の無かった時代には、気温が高くなると腐ってしまったので、冬場の寒い時期しか味わうことのできない季節限定の調味料という位置づけでした。
今でも讃岐の冬場の郷土料理には、白味噌の旬は色濃く残っています。
正月の雑煮に始まり、

チシャもみ(レタスの酢味噌和え)

てっぱい(フナ等の酢味噌和え)
ワケギやナバナ(菜の花)の酢味噌和え

春になるとタケノコの木の芽和え
そして初夏の鰆の味噌漬けと
正月から初夏にかけての料理には、白味噌が味のベースになっており、この季節に欠くことのできない調味料であることがわかります。
現代では日常的に様々な食材が手に入りますが、一つ一つの食材を深く掘り下げていくと、その食材には成り立ちと旬があり、
私たち讃岐の食卓は、今もなお旬が大切にされて構成されていることに気づかされますよね。
香川県で生活をすると生鮮食料品の種類の多さを実感しますが、実は調味料もそれに匹敵するバリエーションがあります。
「味噌を買う家は財が残らない」ということわざが高松市香川町に残ります。
調味料も自県で、そして自家でまかなうというのが讃岐の食の極み。
香川県で生活するうえで、自県の調味料のみで生活することも不可能ではありません。
ちょっと、讃岐の調味料を見て参りましょう。
讃岐を代表する調味料として、まず砂糖が挙げられます。
江戸時代から続く讃岐の伝統的な産業の一つで、現在でも讃岐の土産品として和三盆を選ばれる方も少なくありません。
讃岐の砂糖産業の夜明けは18世紀後半、高松藩五代藩主松平頼恭公の時代。
藩財政の建て直しに砂糖産業を奨励し、医師向山周慶が製糖技術を確立し、1790年に初めて砂糖の製造に成功したと記録に残ります。
サトウキビの栽培にも適した気候風土と、製糖技術の確立により、讃岐は「南海の宝庫」と呼ばれるほどの一大産地になりました。
その後、明治時代になり、外国産の安価な砂糖が大量輸入されるまで、讃岐の砂糖は日本のトップランナーを走り続けました。
(ここまでが一般的に知られている情報)
では、江戸時代にはどれくらいの砂糖が香川県で生産されていたのでしょう。江戸時代末期、国内に流通していた砂糖については約3割が讃岐藩で作られていました。
特に白砂糖についてはほぼ讃岐藩の独占状態(7割)であったことが資料として残っています。
讃岐の農地の1割がサトウキビだったとの記述もあります。
また、「讃岐国産は雪白のごとく、舶来品にいささか劣らず」という記述も残り、「讃岐三盆糖」として、讃岐の砂糖は質・量ともに日本を席巻していたということがうかがえます。
次に、調味料の旬について触れてみます。
生鮮食料品に旬があるように調味料にも旬があります。
「砂糖」は、晩秋に収穫したサトウキビから絞り出した砂糖液を煮詰めて研ぎだしますので冬が旬といえます。
全ての調味料において、製造のための原材料や、製造を始められる気象条件がそろう季節が存在し、いわゆる「新物」が出廻り始める時期がありました。
砂糖はどちらかというと出荷品目にあたるので、一般生活にはなじみの無い物でしょう。
調味料の中でも、讃岐の食文化を代表する調味料は、秋に収穫された新米と大豆で醸す白味噌でしょう。
一部ではセチ味噌とも呼ばれ、貴重な新米を惜しげなく使い、塩分濃度を低くすることで甘みが引き立つように作られていました。
特に、冷蔵庫の無かった時代には、気温が高くなると腐ってしまったので、冬場の寒い時期しか味わうことのできない季節限定の調味料という位置づけでした。
今でも讃岐の冬場の郷土料理には、白味噌の旬は色濃く残っています。
正月の雑煮に始まり、

チシャもみ(レタスの酢味噌和え)

てっぱい(フナ等の酢味噌和え)
ワケギやナバナ(菜の花)の酢味噌和え
春になるとタケノコの木の芽和え
そして初夏の鰆の味噌漬けと
正月から初夏にかけての料理には、白味噌が味のベースになっており、この季節に欠くことのできない調味料であることがわかります。
現代では日常的に様々な食材が手に入りますが、一つ一つの食材を深く掘り下げていくと、その食材には成り立ちと旬があり、
私たち讃岐の食卓は、今もなお旬が大切にされて構成されていることに気づかされますよね。