
2016年03月22日
CoCoデコル定期公演(3/12)ときみともキャンディ定期公演(3/14)の差は一体なんだったのか?【考察】
3月12日(土)に行われた
CoCoデコル定期公演
「newデコル登場」



と
3月13日(日)に行われた
きみともキャンディ定期公演
「ゆなかむばっく」。


どちらのユニットも
メンバー二人で約半年を耐えに耐え、
CoCoデコルは新メンバーを
きみともキャンディはゆな様を
迎える
「待ちに待った」
という意味合いでは全く同じなのですが、
趣は全く異なりました。
この差は一体なんだったんだろう?
そんなことが頭の片隅にあったので、考察しながら僕なりの結論を探したいと思います。
しょうもないことばかり書いてスイマセン。
まず情報の整理から
■CoCoデコル定期公演
「newデコル登場」
第1期メンバー2名が卒業してからの7ヶ月間、
るかちゃんとゆーみんの二人でステージを切り盛りしてきました。
しかも、どちらか一方が欠けたらもう存在はできないほどのギリギリの状態。
体力と精神力が削られて行く出口の見えないトンネルの中に入るような感じでしょうか。
新メンバーのオーディション後は、それはもう突貫工事のような状態で、新メンバーはレッスンを重ね、
デビューに漕ぎ着けたのでしょう。
そして3月12日、新メンバー二人を迎え、4人新体制でリスタートをきりました。
これからCoCoデコル新しい歴史がスタートします。
■きみともキャンディ定期公演
「ゆなかむばっく」
ゆな様の活動休止宣言してから半年間、
あいりさんとりなたんの二人でステージ、ラジオを切り盛りしてきました。
どちらかが欠けても活動が続かないのは同じ。
なのに、その危機はすぐに訪れた!のですが、
りなたんの才能で何とか乗りきってきました。
こちらは、タイムリミットが3月と決められており、
ただし、そこで活動が立ちゆかなくなる可能性も秘めた、
断崖絶壁の状態。
そして運命の3月6日。
ゆな様大学合格の一報と、今後の活動の展望が一気に開けたのです。
きみともキャンディの歴史は続きます。
CoCoデコルは、新メンバー加入まで、二人が活動を続けられるか?というような感じ。
きみともキャンディは、dead or alive?のような二者択一の状態。
CoCoデコルは、真綿で首を絞められるような苦しみがディープなファンにはよくわかり、3月12日は、その苦しみから開放されたことをファンとともに分かち合える瞬間だったのでしょう。
また、それと同時に、第1期のCoCoデコルは消滅し、新たな第2期CoCoデコルが始まると言う、1年前を知っているファンにとっては、嬉しくも、非常に淋しい日となったのです。
一方、きみともキャンディは、実はとても楽観的に6ヶ月を振る舞っていました(表面上は)。
あいりさんもりなたんも非常に明るく振る舞っており、また、ゆな様もとても気丈に振る舞われていまし。
ファンも、一抹の不安は持ちながらも、ゆな様が帰ってこないことなどみじんにも感じずに過ごしてきました。
メンバーの苦しみは本当に最後の最後まで知ることはできませんでした。
この半年のプレッシャーはあいりさん、りなたんの体力を奪って行ったことは、2月末からの体調で明らかになり、3月6日のライブ終了後のりなたんのブログで、半年の苦しみを言葉を変えて綴られています。
そして、渦中にありながらも常に気丈に振る舞われてきたゆな様も、実はかなりのプレッシャーと戦い、背水の陣を敷くまで自分を追い込み、ゴールにたどり着いたことを独白されました。
僕を含めた多くのファンが、その事実に最後の最後まで気づきませんでした。
たぶん、このような背景の違いが、
3月12日、3月13日のライブが終わってからの雰囲気に現れていたのかな?
と、状況を整理しながら感じました。
で、だからどうだ!
ってことになるのですが、
まあ、別にそれでどうなるわけではないのですが、
とりあえず、
こんな体験をともにできたきみともキャンディ&CoCoデコルと、半年支えてきたファンは、固い絆で結ばれたのかな?
と感じた次第です。
スゴイでドラマですよね。
この半年に起こった2つの出来事
★スキット「すきドル」プロジェクト
★きみココ206事件
は、それだけでも見応えのあるドラマになりそうです。
CoCoデコル定期公演
「newデコル登場」



と
3月13日(日)に行われた
きみともキャンディ定期公演
「ゆなかむばっく」。


どちらのユニットも
メンバー二人で約半年を耐えに耐え、
CoCoデコルは新メンバーを
きみともキャンディはゆな様を
迎える
「待ちに待った」
という意味合いでは全く同じなのですが、
趣は全く異なりました。
この差は一体なんだったんだろう?
そんなことが頭の片隅にあったので、考察しながら僕なりの結論を探したいと思います。
しょうもないことばかり書いてスイマセン。
まず情報の整理から
■CoCoデコル定期公演
「newデコル登場」
第1期メンバー2名が卒業してからの7ヶ月間、
るかちゃんとゆーみんの二人でステージを切り盛りしてきました。
しかも、どちらか一方が欠けたらもう存在はできないほどのギリギリの状態。
体力と精神力が削られて行く出口の見えないトンネルの中に入るような感じでしょうか。
新メンバーのオーディション後は、それはもう突貫工事のような状態で、新メンバーはレッスンを重ね、
デビューに漕ぎ着けたのでしょう。
そして3月12日、新メンバー二人を迎え、4人新体制でリスタートをきりました。
これからCoCoデコル新しい歴史がスタートします。
■きみともキャンディ定期公演
「ゆなかむばっく」
ゆな様の活動休止宣言してから半年間、
あいりさんとりなたんの二人でステージ、ラジオを切り盛りしてきました。
どちらかが欠けても活動が続かないのは同じ。
なのに、その危機はすぐに訪れた!のですが、
りなたんの才能で何とか乗りきってきました。
こちらは、タイムリミットが3月と決められており、
ただし、そこで活動が立ちゆかなくなる可能性も秘めた、
断崖絶壁の状態。
そして運命の3月6日。
ゆな様大学合格の一報と、今後の活動の展望が一気に開けたのです。
きみともキャンディの歴史は続きます。
CoCoデコルは、新メンバー加入まで、二人が活動を続けられるか?というような感じ。
きみともキャンディは、dead or alive?のような二者択一の状態。
CoCoデコルは、真綿で首を絞められるような苦しみがディープなファンにはよくわかり、3月12日は、その苦しみから開放されたことをファンとともに分かち合える瞬間だったのでしょう。
また、それと同時に、第1期のCoCoデコルは消滅し、新たな第2期CoCoデコルが始まると言う、1年前を知っているファンにとっては、嬉しくも、非常に淋しい日となったのです。
一方、きみともキャンディは、実はとても楽観的に6ヶ月を振る舞っていました(表面上は)。
あいりさんもりなたんも非常に明るく振る舞っており、また、ゆな様もとても気丈に振る舞われていまし。
ファンも、一抹の不安は持ちながらも、ゆな様が帰ってこないことなどみじんにも感じずに過ごしてきました。
メンバーの苦しみは本当に最後の最後まで知ることはできませんでした。
この半年のプレッシャーはあいりさん、りなたんの体力を奪って行ったことは、2月末からの体調で明らかになり、3月6日のライブ終了後のりなたんのブログで、半年の苦しみを言葉を変えて綴られています。
そして、渦中にありながらも常に気丈に振る舞われてきたゆな様も、実はかなりのプレッシャーと戦い、背水の陣を敷くまで自分を追い込み、ゴールにたどり着いたことを独白されました。
僕を含めた多くのファンが、その事実に最後の最後まで気づきませんでした。
たぶん、このような背景の違いが、
3月12日、3月13日のライブが終わってからの雰囲気に現れていたのかな?
と、状況を整理しながら感じました。
で、だからどうだ!
ってことになるのですが、
まあ、別にそれでどうなるわけではないのですが、
とりあえず、
こんな体験をともにできたきみともキャンディ&CoCoデコルと、半年支えてきたファンは、固い絆で結ばれたのかな?
と感じた次第です。
スゴイでドラマですよね。
この半年に起こった2つの出来事
★スキット「すきドル」プロジェクト
★きみココ206事件
は、それだけでも見応えのあるドラマになりそうです。
2016年03月22日
人口過密都市讃岐★讃岐の江戸時代の人口がどうだったのか?ちょっと調べると意外と面白いことが分かってきます。
香川県は現在でも全国11位の人口密度があります。(国勢調査より)
香川県より上位に来るのは大都市ばかりで、地方都市では上位に位置します。
国勢調査が始まったのが大正9年になるのですが、
この時点での人口密度は全国6位。
香川県より上に来ているのは
東京都、大阪府、京都府、愛知県、神奈川県
と、全国の主だった都市のみです。
香川県の次ぎにくるのが福岡県。
とんでもない人口密度であることが分かります。
では、もっとさかのぼるとどうなのでしょうか?
江戸時代の人口統計をまとめたものが、wikipediaにあったので、
これを元にして人口密度を求めてみました。
(データの正確性を求めるならば、原典などを漁らないといけませんが、
とりあえず予備調査ということで、これでもだいたいの傾向は見えてくるでしょう。
★江戸時代中期から明治初期までの人口(藩レベル)
人口を単純に比較しても何も面白くないので、
讃岐の国の
(1)人口の推移
(2)人口密度の推移
(3)石高に対する人口比率
を比べてみました。
年 | 人口(万人) | 人口密度(人/方里) | 人口石高比(石/人) |
1721 | 33 | 10位 | 15位 |
1746 | 43 | 8位 | 4位 |
1873 | 56 | 7位 | 4位 |
※石高は1843年のデータを使用
すると、
やはり讃岐の国は、ものすごい人口密度と、
かなりの食糧(米)不足であったことがデータとして見えてきます。
29万石(1843年)という実に小さな藩にもかかわらず、
人口密度は、大都市(武蔵、河内、山城、和泉、尾張、摂津)に次いで、
明治初期(江戸末期)には7位。
石高に対する人口では全国4位(下から数えて)。
つまり、1石で何人賄えるか。
※石高は純粋に「米」だけではありませんが、その国の生産力ということでとらえています。
しかも、江戸末期には、
サトウキビの栽培面積が約3800haと、農地の10%という記述もあります。
つまり、慢性的なコメ不足であることがデータとして見えてまいりました。
そこで、麦を作り飢えをしのぎ、
空いた土地で豆、芋を作り、
さらに野菜も作り分けなければ生きられない、
ということが見えてきます。
また、全国的に江戸時代中期から末期の人口が約2500万人で推移していたにもかかわらず、
讃岐の人口は10万人も増加している(130%)というのはかなり驚異的な数字ですね。
人口密度が高く、石高に対する人口も多い、
でも、人口は3割りも増加する。
つまり、狭い土地ながら、生産性の高い農業を営んだため、
比較的食料はあり、
その結果、人口の増加ももたらされたのでは?と短絡的に考えてしまいます。
(まあ、人口増加にはいろいろな要因があるので、これだけではないと思いますが)
そして、このような生産現場の状況を慮ると、
現在の讃岐に残る、米を極限にまでに倹約し、
しかしながら、非常にバリエーションが豊富で、美味しい食文化は、
既に江戸時代中後期には成立していたことが推測できます。
すごいぜ!香川県!
(憶測の域を抜けない部分がありますので、考え方の正誤について専門家の方のご意見を賜りたいところです)