
2015年04月08日
源平合戦史跡〜祈りヶ丘
高松市の古高松、屋島、牟礼エリアというのは、
源平合戦の史跡がたくさん残るとても浪漫チックあふれるエリアです。
歴史の本、ドラマ等で、「那須与一」や「義経の讃岐入り」など文字で読むことができますが、
実際現地に足を運ぶと、当時の人々の息づかいというものが肌で感じられたりします。
人や風景は変わって行きますが、地理は大きく変わらないのですね。
さて、その中に「祈りヶ丘」というスポットがあります。
義経があわからの強行軍の後、平家の人を望んで勝利を祈願したと言われる丘。
現在では、「高松市高松町字津の村」にある妙覚寺という浄土真宗のお寺がここに当たります。
江戸時代に建立された、歴史ある建造物です。

お釈迦様が生まれたと言われる4月8日が近いこともあり、お参りをかねて、お寺を見学させていただきました。
境内の隅っこに、その記念碑とも言われる石碑がひっそりとたたずんでいます。
ただし、お寺の方に問いますと
「実際はどうかは分からない。お寺にもその真偽を知る人はいない」
とのことです。
で、はたして義経はこのお寺の敷地で、勝利を祈願したのでしょうか?
これはもう想像の粋を抜けません。
しかし、このお寺の敷地の一番高い場所に登ると、
壇ノ浦(屋島源平合戦の舞台)が一望できます。
今でこそ、住居が建ち並び、当時の風景を感じることは出来ませんが、
確かに今でも、安徳天皇の内裏跡、そして平家の総門がギリギリですが眼下に広がります。
もしかしたら、ここに立って、平家軍の布陣を見下ろしたのでは?
そんなことをイメージすることができます。
情報源
http://www.e-yashima.jp/yoshitune/yoshitsune/point/inorigaoka.htm
源平合戦の史跡がたくさん残るとても浪漫チックあふれるエリアです。
歴史の本、ドラマ等で、「那須与一」や「義経の讃岐入り」など文字で読むことができますが、
実際現地に足を運ぶと、当時の人々の息づかいというものが肌で感じられたりします。
人や風景は変わって行きますが、地理は大きく変わらないのですね。
さて、その中に「祈りヶ丘」というスポットがあります。
義経があわからの強行軍の後、平家の人を望んで勝利を祈願したと言われる丘。
現在では、「高松市高松町字津の村」にある妙覚寺という浄土真宗のお寺がここに当たります。
江戸時代に建立された、歴史ある建造物です。
お釈迦様が生まれたと言われる4月8日が近いこともあり、お参りをかねて、お寺を見学させていただきました。
境内の隅っこに、その記念碑とも言われる石碑がひっそりとたたずんでいます。
ただし、お寺の方に問いますと
「実際はどうかは分からない。お寺にもその真偽を知る人はいない」
とのことです。
で、はたして義経はこのお寺の敷地で、勝利を祈願したのでしょうか?
これはもう想像の粋を抜けません。
しかし、このお寺の敷地の一番高い場所に登ると、
壇ノ浦(屋島源平合戦の舞台)が一望できます。
今でこそ、住居が建ち並び、当時の風景を感じることは出来ませんが、
確かに今でも、安徳天皇の内裏跡、そして平家の総門がギリギリですが眼下に広がります。
もしかしたら、ここに立って、平家軍の布陣を見下ろしたのでは?
そんなことをイメージすることができます。
情報源
http://www.e-yashima.jp/yoshitune/yoshitsune/point/inorigaoka.htm