2018年10月23日
岩清尾八幡宮 例大祭における丸亀町商店街「子どもちょうさ」の誕生♣独占取材その感動的な誕生秘話に迫る
毎年、10月第3土曜日とその次の日曜日にかけて開催される
『高松の氏神さん』こと石清尾八幡宮の
例大祭(秋祭り)
今年のお祭りで、高松市中心地の丸亀町商店街に
子どもちょうさが誕生しました。
計らずも、その誕生に、わずかではございますが関わらせていただくことができましたので、
その感動をレポートしたいと思います。
(聞きかじりや、思い込みの部分も多いので、表現に誤りがあるかもしれません。そのところはご容赦ください。)
僕が参加させていただいている
屋島の大宮八幡宮に奉納するちょうさのメンバーの倉庫を整理していた所、
何十年も使われていなかった、由来もわからない
こどもちょうさが出てきました。

存在について記憶にある人もいたのですが、いったいこれがどこから来て、
どのような経緯でここに保管されていたのかは、全てを知る人がいません。
でも、ここにこどもちょうさが存在することは事実で
このこどもちょうさを処分するのは忍びなく、
引き取り手を探し、最終的に、丸亀町商店街に移管されることになりました。


このこどもちょうさは
僕のお世話になっている地区のものよりも少し大きく、
しかも、欄間の彫が見事で、とても芸術的な逸品です。
丸亀町商店街はこれまで、岩清尾八幡宮に山車を奉納しており、
ここに新たに、このこどもちょうさがくわわったのですが、
こどもちょうさだけでは、何も出来ません。
こどもちょうさ
を支えるかき棒の調達。
かき棒とちょうさの結び方。
太鼓の叩き方。
伊勢音頭。
祭のしきたり。
などなど、とてつもなくたくさんの文化を伝承しなくては、
こどもちょうさの運行はままなりません。
僕のお世話になっている地区から、毎晩毎晩、歌や太鼓の叩き方を伝え、
こどもちょうさのくみ上げ方を伝え、
しきたりを伝え、
祭が近づくにつれ、こどもちょうさは徐々に徐々に完成に向かいます。

そして遂に、こどもちょうさが組み上がり、全ての文化が伝わり、
運行を迎えたのです。

2018年10月20日(土)の朝、
何十年も倉庫の片隅で眠っていた、こどもちょうさが目を覚まし、
新たに文化の息吹を吹き込まれ、装いも新たに、奉納の旅路へと出発したのです。
と、
簡単に書きましたが、実は、いろいろなつながりがあってこどもちょうさの誕生に繋がっています。
石清尾八幡宮に奉納している北濱ちょうさと
屋島の大宮八幡宮に奉納しているちょうさの親交が無ければこの結びつきはありませんでしたし

そもそも
石清尾八幡宮と大宮八幡宮との深いつながりが無ければ、そのきっかけは産まれなかったとき聞きます。

多くの偶然と、人々のつながり、そして、このこどもちょうさを「再び人々の目の前で運行させたい」という多くの強い想いが重なりあっての賜物であると、感じた所です。
でも、今回
丸亀町商店街こどもちょうさは産まれたのですが、
この文化が成長して、成人するにはまだまだ時間がかかるでしょう。
僕が感じるに、今回こどもちょうさに関わった地域の子どもたちが親になって、
その子どもたちをこどもちょうさに乗せたい!
と、強い想いを持って動き始めたとき、
こどもちょうさは成人を迎えるのではないのかな?
と感じた次第です。
(良いとか悪いとかではなく、文化を育てるのは、それぐらいの時間がかかるということです)
『高松の氏神さん』こと石清尾八幡宮の
例大祭(秋祭り)
今年のお祭りで、高松市中心地の丸亀町商店街に
子どもちょうさが誕生しました。
計らずも、その誕生に、わずかではございますが関わらせていただくことができましたので、
その感動をレポートしたいと思います。
(聞きかじりや、思い込みの部分も多いので、表現に誤りがあるかもしれません。そのところはご容赦ください。)
僕が参加させていただいている
屋島の大宮八幡宮に奉納するちょうさのメンバーの倉庫を整理していた所、
何十年も使われていなかった、由来もわからない
こどもちょうさが出てきました。

存在について記憶にある人もいたのですが、いったいこれがどこから来て、
どのような経緯でここに保管されていたのかは、全てを知る人がいません。
でも、ここにこどもちょうさが存在することは事実で
このこどもちょうさを処分するのは忍びなく、
引き取り手を探し、最終的に、丸亀町商店街に移管されることになりました。


このこどもちょうさは
僕のお世話になっている地区のものよりも少し大きく、
しかも、欄間の彫が見事で、とても芸術的な逸品です。
丸亀町商店街はこれまで、岩清尾八幡宮に山車を奉納しており、
ここに新たに、このこどもちょうさがくわわったのですが、
こどもちょうさだけでは、何も出来ません。
こどもちょうさ
を支えるかき棒の調達。
かき棒とちょうさの結び方。
太鼓の叩き方。
伊勢音頭。
祭のしきたり。
などなど、とてつもなくたくさんの文化を伝承しなくては、
こどもちょうさの運行はままなりません。
僕のお世話になっている地区から、毎晩毎晩、歌や太鼓の叩き方を伝え、
こどもちょうさのくみ上げ方を伝え、
しきたりを伝え、
祭が近づくにつれ、こどもちょうさは徐々に徐々に完成に向かいます。

そして遂に、こどもちょうさが組み上がり、全ての文化が伝わり、
運行を迎えたのです。

2018年10月20日(土)の朝、
何十年も倉庫の片隅で眠っていた、こどもちょうさが目を覚まし、
新たに文化の息吹を吹き込まれ、装いも新たに、奉納の旅路へと出発したのです。
と、
簡単に書きましたが、実は、いろいろなつながりがあってこどもちょうさの誕生に繋がっています。
石清尾八幡宮に奉納している北濱ちょうさと
屋島の大宮八幡宮に奉納しているちょうさの親交が無ければこの結びつきはありませんでしたし

そもそも
石清尾八幡宮と大宮八幡宮との深いつながりが無ければ、そのきっかけは産まれなかったとき聞きます。

多くの偶然と、人々のつながり、そして、このこどもちょうさを「再び人々の目の前で運行させたい」という多くの強い想いが重なりあっての賜物であると、感じた所です。
でも、今回
丸亀町商店街こどもちょうさは産まれたのですが、
この文化が成長して、成人するにはまだまだ時間がかかるでしょう。
僕が感じるに、今回こどもちょうさに関わった地域の子どもたちが親になって、
その子どもたちをこどもちょうさに乗せたい!
と、強い想いを持って動き始めたとき、
こどもちょうさは成人を迎えるのではないのかな?
と感じた次第です。
(良いとか悪いとかではなく、文化を育てるのは、それぐらいの時間がかかるということです)
Posted by ゆうみんのいい奈良漬け at 07:00│Comments(0)
│祭りDE子育て