2016年12月07日
松島地区史跡案内図 ♣ 江戸時代(高松藩)の面影を強く残すエリア「高松市松島地区」
『古高松』学番外編として、松島地区を紹介。

高松市の中心市街地から少し東に行ったところに
「松島地区」とうエリアがあります。
先日、とあるうどん屋さんにたちよった時、
松島地区史跡案内図
なる看板を目にしました。
そもそも、松島地区は
江戸時代は、高松藩の中心市街地から東方面に抜ける街道が存在し
その周辺にはいろいろな店舗が軒を連ねた事が容易想像できますし、
中心地から近い塩田としての役割もありました。
また、杣場川(せんばがわ)、御坊川(ごぼがわ)、詰田川(つめたがわ)という東に向かうためにこえないといけない大きな川もあります。
という事で、
このエリアは、江戸時代の高松藩城下町の面影をとてもたくさん残すエリアです。
旧街道はまちを斜めに通って、道の交差は非常に複雑になっておりますし、
塩田あとに整備された町と、旧市街地の区別は、都市計画からくっきりと分かれていますし、
今は蓋がされて存在を確認できない杣場川の名残り、
東に向かうための渡し船のあと
などなど、かなり興味深いポイントがあります。
なんて事を、再確認しました。

高松市の中心市街地から少し東に行ったところに
「松島地区」とうエリアがあります。
先日、とあるうどん屋さんにたちよった時、
松島地区史跡案内図
なる看板を目にしました。
そもそも、松島地区は
江戸時代は、高松藩の中心市街地から東方面に抜ける街道が存在し
その周辺にはいろいろな店舗が軒を連ねた事が容易想像できますし、
中心地から近い塩田としての役割もありました。
また、杣場川(せんばがわ)、御坊川(ごぼがわ)、詰田川(つめたがわ)という東に向かうためにこえないといけない大きな川もあります。
という事で、
このエリアは、江戸時代の高松藩城下町の面影をとてもたくさん残すエリアです。
旧街道はまちを斜めに通って、道の交差は非常に複雑になっておりますし、
塩田あとに整備された町と、旧市街地の区別は、都市計画からくっきりと分かれていますし、
今は蓋がされて存在を確認できない杣場川の名残り、
東に向かうための渡し船のあと
などなど、かなり興味深いポイントがあります。
なんて事を、再確認しました。
Posted by ゆうみんのいい奈良漬け at 07:00│Comments(0)
│『古高松』学