2015年05月02日
【考察】高松における源平イベントの位置付け

(写真)祈りヶ丘から屋島を望む
去る4/29
JR屋島駅前で開催された
『義経まつり』
地域の楽しいイベントが開催されてました。(=゚ω゚)ノ
以下、イベントを否定する訳ではないので、お間違えなく。
あくまで考察です。
記録では、屋島の合戦で、義経は、古高松の民家に火を放っております。
はたして、古高松にとって、義経は讃えるべき存在なのだろうか?
そんな疑問が頭をよぎりました。
その昔、1190年頃、屋島に内裏があったと伝えられます。
平家は壇ノ浦で義経を迎え打ちました
この讃岐の地で、平家の方々は、どの様な政治、どんな治世、というか、この地屋島や古高松、牟礼
の人にどの様に思われていたのでしょうか?
例えば、香川県内では、長宗我部元親(で良いのでしょうか)の進軍による悪い逸話がたくさん残っており、香川県内では、長宗我部に対しては余り良いイメージが無いと思います。
同様に、義経に対する評価はどうなるのでしょうか?これを明確にすることにより、この地(広義としての高松)で行う源平イベントの方向性が変わるのでは無いかと、ふと思いました。
Posted by ゆうみんのいい奈良漬け at 11:43│Comments(2)
│ほんまのその他
この記事へのコメント
おはようございます。
松山でも漱石の「坊ちゃん」を売りにしていますが
あの小説も、松山をさんざんにこき下ろしてるなぁと思いました。
漱石は本人は松山をいいところだと評価していたという話も聞きますがいろいろですね。
ただ、昔のことは気にせずに商売にいかすというのは日本人のたくましさでもあると思います(笑
松山でも漱石の「坊ちゃん」を売りにしていますが
あの小説も、松山をさんざんにこき下ろしてるなぁと思いました。
漱石は本人は松山をいいところだと評価していたという話も聞きますがいろいろですね。
ただ、昔のことは気にせずに商売にいかすというのは日本人のたくましさでもあると思います(笑
Posted by ユキノ at 2015年08月15日 08:11
ユキノさん
コメントありがとうございます。
「坊ちゃん」でも諸説が有るのですから、江戸時代より前のことはなかなか良い文献にたどり着けなくて憶測の域を抜けるのは難しいですよね。
でも、過去のことはどうであれ、その出来事を商売に結びつける商魂は確かにスゴいですね。その視点は無かったです。
コメントありがとうございます。
「坊ちゃん」でも諸説が有るのですから、江戸時代より前のことはなかなか良い文献にたどり着けなくて憶測の域を抜けるのは難しいですよね。
でも、過去のことはどうであれ、その出来事を商売に結びつける商魂は確かにスゴいですね。その視点は無かったです。
Posted by 幸楓
at 2015年08月19日 01:33
