2015年08月15日
丸亀城に思う。。。
(歴史素人ブログですので、突っ込み無しでお願いします)

香川県には
二つの大きなおしろが有り、
一つが玉藻城(高松城)
もう一つが丸亀城
であります。(他に有ったらすいません)
いずれのお城も、
江戸時代初期に讃岐を統治していた
生駒正親氏が完成させたとされております(間違っていたらすいません)が、
何がスゴいかって、
この二つの城の大きな特徴は
丸亀城が丘に築かれた平山城であり、高松城が海(正確には海辺の小高い土地)際に築かれた海城という全く異なった性質を持った城であること。
そして、共通点は、どちらも背山臨水のロケーションであることです。
20年前、初めて香川に来て、
映画のロケ(出演ね)の時に初めて丸亀城に登ったのですが、
当時は、えらいシンドイ城やな〜の感想しかもっていなかったのですが、
20年経って、いろいろと学んだ後にこの城に登り、四方を見渡して、
そのすばらしさに初めて気が付きました。
この城からは、丸亀藩の領地が一望できるのです。
(まあ、どの城もそううでしょうが)

北側、今はオフィス街になっていますが、家老の屋敷や、城下町が広がっていたのでしょうね。
そして、遠くは塩田と、瀬戸内海を行き来する、廻船と漁船が。

東側、遠く、青野山、五色台が見渡せます。

南側、全国一とも言われる台所器具のバリエーションを生む原動力となった、
土器側流域の大穀倉地帯が広がります。

西側、琴平、善通寺、多度津までを一望することができます。
当時のお殿様は、この城に登り四方を見渡して、
田植えの様子や、稲の盛り具合、そして稲刈りの様子を見ながら、
領民の日々の暮らしを確認しながら、
「我が藩はつつがなく栄えているなあ」
と、思ったのでしょうね。
ちょっと、気持ちだけ400年前にタイムスリップしながら、そんなことに思いを馳せていました。
香川県には
二つの大きなおしろが有り、
一つが玉藻城(高松城)
もう一つが丸亀城
であります。(他に有ったらすいません)
いずれのお城も、
江戸時代初期に讃岐を統治していた
生駒正親氏が完成させたとされております(間違っていたらすいません)が、
何がスゴいかって、
この二つの城の大きな特徴は
丸亀城が丘に築かれた平山城であり、高松城が海(正確には海辺の小高い土地)際に築かれた海城という全く異なった性質を持った城であること。
そして、共通点は、どちらも背山臨水のロケーションであることです。
20年前、初めて香川に来て、
映画のロケ(出演ね)の時に初めて丸亀城に登ったのですが、
当時は、えらいシンドイ城やな〜の感想しかもっていなかったのですが、
20年経って、いろいろと学んだ後にこの城に登り、四方を見渡して、
そのすばらしさに初めて気が付きました。
この城からは、丸亀藩の領地が一望できるのです。
(まあ、どの城もそううでしょうが)
北側、今はオフィス街になっていますが、家老の屋敷や、城下町が広がっていたのでしょうね。
そして、遠くは塩田と、瀬戸内海を行き来する、廻船と漁船が。
東側、遠く、青野山、五色台が見渡せます。
南側、全国一とも言われる台所器具のバリエーションを生む原動力となった、
土器側流域の大穀倉地帯が広がります。
西側、琴平、善通寺、多度津までを一望することができます。
当時のお殿様は、この城に登り四方を見渡して、
田植えの様子や、稲の盛り具合、そして稲刈りの様子を見ながら、
領民の日々の暮らしを確認しながら、
「我が藩はつつがなく栄えているなあ」
と、思ったのでしょうね。
ちょっと、気持ちだけ400年前にタイムスリップしながら、そんなことに思いを馳せていました。
Posted by ゆうみんのいい奈良漬け at 07:00│Comments(0)
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