2017年05月22日
【地形で巡る 旧・高松】田井城址 ♣ため池と水路を使った天然の要害at 高松市牟礼町 #田井城址
地形で巡る 旧・高松
シリーズ
まあ、いわゆる今大人気の番組「ブラタモリ」の高松こてこてローカル版みたいな事をしてみたいと思います。
今回訪問したのは
高松市牟礼町にある
田井城址

以前から、その存在は知っていたのですが、
歩いて巡らないとその本質には迫れず、
今回、たまたま歩いてそばを通ったので、訪問してみました。

まず、牟礼町教育委員会(現在、牟礼町は高松市と合併になっております)
の説明板を呼んでみましょう。
田井城址(たいじょうし)
天文年中(1532年から1555年)に中村氏宗がこの田井城に移って
牟礼町大町を領していたが、天正8年(1580年、いわゆる本能寺の変の2年前ですね)に火災に
あい、氏宗の子、宗卜は八栗に新城を築いて
同9年に移る。
西南に蓮池を控え、北及び東から北西に、
外濠を巡らした丘陵地で、中央が高く周囲
がやや低くなっている。
里人は城山という。
牟礼町教育委員会

この説明文を読みながら地形と比較してみましょう。
下の地図の中央に蓮池がございます。
そこから来たに水路(外濠)がぐるっと囲む楕円形の地形がありますが、
ここの頂上に田井城址(たいじょうし)でございます。
更に説明文を見てみますと、
「西南に蓮池を控え」
この表現は実は間違っているのでしょう。
「蓮池の南西に控え」
もしくは
「南東に蓮池を控え」
のいずれかが正解ですね。
まあ、細かい事は言わずに城址に参内しましょう。
現在はちいさな祠と、城址の石碑が建っており、
ちょうど北側に八栗山が見えるという素晴らしロケーションです。

そこから、下って行きますと、少しいろい平地があり、
ここが二の丸であったのかと想像ができます。
説明文にあるとおり、
「中央が高く、周囲がやや低くなっている」
という説明書きのとおり、
蓮池(ため池ですのであとからででたのでしょうが)のそばの丘陵地を活用し、
蓮池を外濠に使った実に見事な城である事が分かります。
ここはなかなか攻められません。

で、この田井城址(たいじょうし)で最も注目すべきは、
外濠にあります。
この外濠は、ため池から流れ出る、要は用水路なのですが、
その構造は実に深く、広く、重厚で、
しかも、水路の勾配は急峻であり、ユルを抜くとそれはもうもの凄い勢いで水が流れ出します。
この水路は、用水路ではなく、まさにその名の通り
外濠という表現が適切である事が良く分かります。
また、水路(外濠)から城側は切り立った丘陵の傾斜であり、
これはなかなか攻められない!と実感が沸きます。


そしてもっと驚くべきは、この石積み。
石の綺麗さから、そんなに時代が古いものではないですが、
用水路にするにしては、あり得ないくらいの重厚で見事な石を使っています。
この田井城址(たいじょうし)
が戦国時代の城であるという事を現代に伝える役割を担っています。
いやあ、こんなに面白い文化財があるなんて今まで気付きませんでしたよ。
ビバ!田井城址(たいじょうし)
です。
シリーズ
まあ、いわゆる今大人気の番組「ブラタモリ」の高松こてこてローカル版みたいな事をしてみたいと思います。
今回訪問したのは
高松市牟礼町にある
田井城址

以前から、その存在は知っていたのですが、
歩いて巡らないとその本質には迫れず、
今回、たまたま歩いてそばを通ったので、訪問してみました。

まず、牟礼町教育委員会(現在、牟礼町は高松市と合併になっております)
の説明板を呼んでみましょう。
田井城址(たいじょうし)
天文年中(1532年から1555年)に中村氏宗がこの田井城に移って
牟礼町大町を領していたが、天正8年(1580年、いわゆる本能寺の変の2年前ですね)に火災に
あい、氏宗の子、宗卜は八栗に新城を築いて
同9年に移る。
西南に蓮池を控え、北及び東から北西に、
外濠を巡らした丘陵地で、中央が高く周囲
がやや低くなっている。
里人は城山という。
牟礼町教育委員会

この説明文を読みながら地形と比較してみましょう。
下の地図の中央に蓮池がございます。
そこから来たに水路(外濠)がぐるっと囲む楕円形の地形がありますが、
ここの頂上に田井城址(たいじょうし)でございます。
更に説明文を見てみますと、
「西南に蓮池を控え」
この表現は実は間違っているのでしょう。
「蓮池の南西に控え」
もしくは
「南東に蓮池を控え」
のいずれかが正解ですね。
まあ、細かい事は言わずに城址に参内しましょう。
現在はちいさな祠と、城址の石碑が建っており、
ちょうど北側に八栗山が見えるという素晴らしロケーションです。

そこから、下って行きますと、少しいろい平地があり、
ここが二の丸であったのかと想像ができます。
説明文にあるとおり、
「中央が高く、周囲がやや低くなっている」
という説明書きのとおり、
蓮池(ため池ですのであとからででたのでしょうが)のそばの丘陵地を活用し、
蓮池を外濠に使った実に見事な城である事が分かります。
ここはなかなか攻められません。

で、この田井城址(たいじょうし)で最も注目すべきは、
外濠にあります。
この外濠は、ため池から流れ出る、要は用水路なのですが、
その構造は実に深く、広く、重厚で、
しかも、水路の勾配は急峻であり、ユルを抜くとそれはもうもの凄い勢いで水が流れ出します。
この水路は、用水路ではなく、まさにその名の通り
外濠という表現が適切である事が良く分かります。
また、水路(外濠)から城側は切り立った丘陵の傾斜であり、
これはなかなか攻められない!と実感が沸きます。


そしてもっと驚くべきは、この石積み。
石の綺麗さから、そんなに時代が古いものではないですが、
用水路にするにしては、あり得ないくらいの重厚で見事な石を使っています。
この田井城址(たいじょうし)
が戦国時代の城であるという事を現代に伝える役割を担っています。
いやあ、こんなに面白い文化財があるなんて今まで気付きませんでしたよ。
ビバ!田井城址(たいじょうし)
です。
Posted by ゆうみんのいい奈良漬け at 07:00│Comments(0)
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