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2016年08月09日

【古高松学】その8の3 「揚さん」から連なる道♦古高松の道は「揚さん」に通ずる

「古高松」の津ノ村と呼ばれる地区は、
屋島と立石山脈の北陵に囲まれた帯状のエリア。
このエリアを考える上で最重要なポイント。
それが揚(あげ)さんの存在です。


(3)揚さんから連なる道

今回は、道という視点から揚さんを見つめてみたいと思います。

現在の古高松
特に「津ノ村」エリアの道は非常に不可解です。
例えば、「津ノ村」にあるJR高徳線の駅である「古高松南」から古高松小学校に行こうとすると、
道が鋭角的に曲がり、どのみちを通っても遠回りになるよな感じがあります。
確かに、旧条里制と現在の国道や県道は直角に交わらず、微妙に傾いて交差しているので、
ある一方からはとても近く感じるのですが、もう一方からはとても遠く感じる、
そんな個所が至る所にあります。

でも、やっぱりそれ以上に貴重な存在が
揚さんなのです。



先ず、「揚さん」の敷地がいったいいつからあるのか?ですが、
地図の記録が存在しないため知るすべがありません。
まあ、南の角の苔むした古い石垣の年代測定をすればある程度分かると思いますし、
発掘調査をしてみると驚くべき事実が発覚するかもしれません。
それは専門家にお任せしましょう。

で、『古高松郷土史』を読んでいきますと
揚さんの祖先が、徳島の祖谷から高松に、そして、古高松に移り住んだとありますので、
記録から行きますと、ここのあたりであろうと思われます。

また、1853年年に発行された『讃岐国名勝図会』の山田郡古高松村の風景画を見ますと、
古高松に揚さんの屋敷が描かれておりますし、
道路(1)(5)は今の形状で明確に描かれております。
【古高松学】その8の3 「揚さん」から連なる道♦古高松の道は「揚さん」に通ずる
※ちょっと見にくいですが、写真の西への矢印(1)と、北への矢印(5)です。
【古高松学】その8の3 「揚さん」から連なる道♦古高松の道は「揚さん」に通ずる


要は、この辺りは、昔からあまり地形や道路が変わっていないことが考えられます。


現在は、JR高徳線や
【古高松学】その8の3 「揚さん」から連なる道♦古高松の道は「揚さん」に通ずる
※JR高徳線により分断された古高松

国道11号線で古い道はすべて寸断されていますが、
現代に敷かれた新しい路線を全て消してしまうと、
古い時代の地形が浮かび上がります。

【古高松学】その8の3 「揚さん」から連なる道♦古高松の道は「揚さん」に通ずる

上の地図の(2)の道
揚さんの敷地から真南に延びる道です。
この道はJR高徳線に分断されていますが、唯一踏切がかかって通行が可能となっており、
この踏切の名前は揚踏切
【古高松学】その8の3 「揚さん」から連なる道♦古高松の道は「揚さん」に通ずる
踏切に名前を残すくらいですから、JR開通にどれほどの尽力をされたのかが忍ばれます。

【古高松学】その8の3 「揚さん」から連なる道♦古高松の道は「揚さん」に通ずる
上の地図(3)の道
【古高松学】その8の3 「揚さん」から連なる道♦古高松の道は「揚さん」に通ずる
揚さんの敷地から南東方向に延びる道です。
この道はJRにより分断され、
「通行禁止」と過去に道があった形跡が忍ばれます。
もちろん、JR線路の南北に、当時の道の面影がちゃんと残っています。
実は南東方向に延びる道は2本有り、
2本とも面影が残っています。

ちなみに、南東方向に延びる道の東側の道は、
【古高松学】その8の3 「揚さん」から連なる道♦古高松の道は「揚さん」に通ずる
【古高松学】その8の3 「揚さん」から連なる道♦古高松の道は「揚さん」に通ずる
【古高松学】その8の3 「揚さん」から連なる道♦古高松の道は「揚さん」に通ずる
例の、一番古い石垣の上を通っています。
(緑の⇒B)

【古高松学】その8の3 「揚さん」から連なる道♦古高松の道は「揚さん」に通ずる
上記の地図(4)の道
揚さんの敷地から真東に延びる道です。
【古高松学】その8の3 「揚さん」から連なる道♦古高松の道は「揚さん」に通ずる
この道をまっすぐ行くと、JRの線路により行き止まりになるのですが、
【古高松学】その8の3 「揚さん」から連なる道♦古高松の道は「揚さん」に通ずる
JRの線路を迂回して(トンネルになっていて通れます)裏側に行くと、
ちょうど、先ほど途切れた道の真反対に出ます。
道の形跡はほとんどないですが、水路がきっちりと繋がっている事が分かります。


【古高松学】その8の3 「揚さん」から連なる道♦古高松の道は「揚さん」に通ずる
そして上記地図の(5)の道
(写真ありません)ちょうど、角屋の曲がり角に繋がる道です。
この道は昭和40年代に開通した国道11号線により分断されていますが、
国道11号線の南北に、当時の道が残っており、
それらを線で繋ぐと、全ての道が浮き彫りになってきます。

こうやって見てみると
古高松津ノ村エリアの道は、
全て揚さんから放射状に出発している。
そのように感じてなりません。
そして、序段に書いた
特に「津ノ村」エリアの道は非常に不可解です。
例えば、「津ノ村」にあるJR高徳線の駅である「古高松南」から古高松小学校に行こうとすると、
道が鋭角的に曲がり、どのみちを通っても遠回りになるよな感じがあります。


ですが、
つまりこのエリアの道は、基本的に揚さんから放射状に延びているので、
この土地に、東西に5本も街道(国道、県道、旧街道、JR、琴電)を通すと
それはもういびつな道の交差があちこちに見られるという事ですね。
最初、不可解で仕方の無かった道も、
こうやって歴史を読み解いて一つ一つを考えて行くと、
その道をある事が楽しくなってきますよね。



そして、極めつけが
古高松コミュニティ協議会発行の自治会の住宅地図(ゼンリン)。
(ちょっと、個々の住宅に住まわれている方の名前が書かれているのでここではアップしません)
揚さん周辺の自治会の分布がどうなっているのかを見てみますと、
揚さんとその南側に位置する小高い丘は「中戸」と言われる自治会です。
讃州府誌によりますと「中堂」ともありますので、つまりは中心地のような意味。
で、
揚さんから東は「東津ノ村」
揚さんから西が「西津ノ村」
つまり、揚さんを中心に、津ノ村が二つに分かれているのですね。
つまるところ、揚さんが津ノ村の中心地のような位置づけであったことが
現代の自治会分布にも残っています。



という事で
古高松の道は「揚さん」に通ずるならぬ
古高松の道は「揚さん」から発する。
です。

つづく。
(4)「揚さん」と「神櫛王館舎」
(5)高松松平藩の諜報機関としての「揚さん」



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Posted by ゆうみんのいい奈良漬け at 07:00│Comments(3)『古高松』学
この記事へのコメント
知り合いの揚さんがこちらのご子孫のようで、揚家について調べていたところたどり着きました。
Posted by ようへい at 2018年03月20日 14:52
ようへい さま

コメントありがとうございます。
つたない文章をお読みいただきありがとうございます。

現存する地形や、伝承、文献から、
当時の雰囲気を想像しておりますので、
もしかしたら、外れたことを書いているかもしれませんこと、ご容赦ください。
Posted by 幸楓 at 2018年05月06日 00:36
高松市在住の者です。以前から地元歴史がとても好きで、こちらにお邪魔しました。揚さんについての研究、とても面白いです。久保邸から出土品が2年前あったようで、揚屋敷近くに展示されてるようです。ご存知でしたか?近々揚さんゆかりの場所を散策するつもりです。
Posted by Aki at 2022年04月17日 21:54
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